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プロフィール
HN:
みくと
性別:
女性
職業:
大学生
趣味:
旅行
自己紹介:
旅行をかねて全国のいろいろな美術館に行ってみたいです。
大学では芸術学を専攻しています。
まだまだ知識不足なので勉強中です。
近現代の芸術が好みで、宗教色の強いものは少し苦手です。
基本えり好みはしませんが、記事傾向の参考程度に。

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北九州市立美術館に
ミレイ展を見に行ったのは先日の8月16日のこと。
残念ながら、彼についての予備知識はほとんどありませんでした。

知っているのは

①あの、落ち穂拾いのミレーとは違う
(ミレイはイギリス人、ミレーはフランス人)

②オフィーリアが有名
(しかし、ハムレットのシーンをよく知らない)

ということくらいでした。なんという薄識。

大混雑する美術館の中で得た知識として

・イギリスラファエロ前派に属する

ということらしいです。


■ラファエロ前派とは

ラファエロはルネサンスの最も栄えた時期1500-1530
(レオナルド・ダ・ヴィンチや、ミケランジェロが活躍した同時期)に活躍した画家です。
彼のアテネの学堂は見たことがある人も多いはず。ソクラテスなど、古代の学者に加え
ラファエロ自身なども登場しているあの絵です。

2e58f3c7.jpg







ラファエロ前派とは、ラファエロが芸術の頂点とするアカデミーのやり方に
反発した、ミレイやロセッティハントなどのことのよう。

私がミレイの絵で感じたのは、今回来ていた絵がすべてじゃないのは分かっているけれど、
なんとなく神話っぽいというか、物語の一場面っぽさがあるような感じ。
絵によってはそうも思えないんですけどね。ラファエロ前派は自然消滅したようだし、
後期の絵は異なっているのでしょう。

さて、オフィーリアですが、北九州美術館では
基本白い壁なのが、オフィーリアなど、有名な絵はバックに異なった色を置いて
際立たせていました。
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ブランクーシの作品を見に行きたいので自分用メモ。
けれど、福岡市美術館にあったなんて知らなかった…
今度帰省するときに行ってみよう。

滋賀県立近代美術館
http://www.shiga-kinbi.jp/
静岡県立美術館
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/
箱根 彫刻の森美術館
http://www.hakone-oam.or.jp/
川村記念美術館
http://kawamura-museum.dic.co.jp/
福岡市美術館
http://www.fukuoka-art-museum.jp/
メナード美術館
http://www.menard.co.jp/museum/home/index.htm
兵庫県立近代美術館 
http://www.artm.pref.hyogo.jp/
横浜美術館
http://www.yaf.or.jp/yma/


ブランクーシからイサムノグチにかけてを卒論にしようかと
真剣に考え出しました。まだ、考えるには早いのでいろいろな
作品に触れていきたいと思います。
ブランクーシに関連してマン・レイも気になるところです。
写真論を専門とする先生がいらっしゃるので大学図書館に彼に関する書籍があるかも知れない。
東京での美術館レポがまだでした。
この記事では旅行の内容について軽く触れておきたいと思います。

あ、金沢21世紀美術館についてもまだ書いていないのでしょうか。
いずれ機会があったら書くことにします。

東京、主たる目的はキャッツシアターでキャッツを見ることと
美術館鑑賞。ガイドもなく、友人とぶらり二人旅。

東京1日目

■北千住
 槍掛だんごが食べたくて行ったものの、
目的の店は閉まっていました。仕方ないので駅近くのお団子屋さんで
お団子を買って友人と食べました。

■浅草
駅をでて、見つけた金色のにょろりとした物体にびっくり
雷門前で人力車のお兄さんに写真を撮ってもらい
説明だけがっつり聞いて結局人力車にはのらずじまい。
しかし、あれはビール会社のモニュメントだったんですね…。
七福神が浅草全体にいるというのにも驚き。
今度来た時はじっくり回ってみたい場所の一つ。
 
■東京タワー
勘違いして降りてから逆方向へ延々進んでしまったので
倍疲れてしまった。けど、タワーの姿を見たら
疲れも吹っ飛びました。きれいですね。
でも、電波塔だから仕方ないのかもしれないけれど
展望台が予想以上に低くてがっかりしました。
 横浜ポートタワーに行ったことがある身としては低すぎる。
別に高ければいいってものじゃないのは分かっているんですが、
(逆に通天閣はあの低さが庶民的でよいと思う)
期待していたわりに残念度は高かったですね。

2日目

■月島(もんじゃ)
朝からもんじゃを食べに、しかしどこに行ってももんじゃもんじゃ
連れの子と話し合って、
脇道がよさそうだけど怖いし適度に込んでいて適度にすいている場所にしようと
よくわからないことを話し合ってりそな銀行前のもんじゃ屋さんに。
もんじゃ…みためはあれだけどやっぱりすごくおいしいですね。
外国人の方が初めて見た時の反応が知りたいものです。

■上野(国立西洋美術館)
ロダンの地獄の門に大興奮!友人に写真を撮ってもらいました。
コロー展がやっていたけど、よく彼のことを知りませんでした。
でも、せっかくだし・・・ということで、高いなと思いつつも
入場。しかし、それだけの価値は十分にありました!
詳しくはまた書くはず。

■五反田(キャッツ)
本当に楽しみにしていたキャッツ何年振りだろう。
サントラも持っていなかったし、記憶もほとんどなくて
覚えている猫の名前はグリザベラとラムタムタガー程度だったので
ほとんど初めてみる気分でした。

シアターのロビーの猫たちの額縁と尻尾に二人して半狂乱になり、
勢いあまって友人などは5000円もするTシャツ購入。
そのあとの倹約ぶりが半端なくて正直困りました。
内容はもう、最初から感動しっぱなしで
猫たちが声を合わせてジェリクルキャッツについて歌うところは鳥肌もの。
休憩前のグリザベラのメモリーが秀逸すぎる!
マキャビティについて語るあの二人の猫が素敵過ぎる!
とか、まあそんな感じでした。

3日目

■品川アクアスタジアム
実はあまり乗り気じゃなかったのですが行って本当によかった。
規模はそんなに大きくないけれど、素晴らしいイルカとアシカのショーを
見ることができました。本当にありがとう。
しかし、アシカショーは非常に資本主義的な戦略を取り入れていましたね。
びっくりしました。

■原美術館
とっても行きたかった現代美術館!
友人は現代美術館初めてだったのですが非常に楽しんでくれたようです。
 受付の横にはたくさんの壁に刺さった包丁に
オオゴマダラの金のサナギがぶら下がっている
ミスマッチさが素敵な作品が。

(照屋 勇賢)

他にも無題で、家族っぽい木の精霊っぽい彫刻が。
口から葉っぱとかお花とかがにょーんって出てる感じがかわいらしい。
けど目とかは虫っぽいんだよね。あと、背中に縦に線が彫られてて
脊椎ありますよーってかんじだった。
うん、なんというか、出会った瞬間に笑みが漏れるような作品でした。

(加藤 泉作)

本当はボルタンスキーの作品を見てみたかったんだけど、置いていなくてとても残念です。
探査機と宇宙ステーション
 
 アメリカではアポロ11号が月面着陸してソ連に勝利した後、有人宇宙飛行の意義は失われようとしていた。こうして、現実的な研究や実験などのために、探査機や宇宙ステーションの打ち上げが積極的に行われるようになった。1972年のパイオニア10号、1973年のパイオニア11号はともに惑星探査を目的としており、木星や土星を撮影した後太陽系の外へと飛び続けている。1979年に打ち上げられたボイジャー1・2号は現在も稼働し続けており、現在も重要な情報を送り続けている。また、ソ連のミールやスカイラブなど、実験のための宇宙ステーションが打ち上げられ、無重力の特性を生かした宇宙空間でしかできないような実験を行っている。
 
事故と教訓
 
 宇宙開発には様々な困難と危険が付きまとう。人類が宇宙空間に行ったことのない時代には、犬などの哺乳類が犠牲になった。また、アポロ計画では、アポロ1号の訓練中の火災事故で3人が脱出できずに死亡する痛ましい事故、また十分に安全が確かめられず打ち上げられたソ連のソユーズ1号や、ソユーズ11号での死亡事故など、数多くの犠牲が払われてきた。現在においても宇宙旅行は決して安全なものとは言えない。1986年のスペースシャトルチャレンジャー号事故では7名の命が失われたし、2003年のスペースシャトルコロンビア号の事故は記憶に新しいだろう。これらの事故をうけて、原因が究明されたり組織自体の在り方が見直されたりするなど事故を繰り返さないための様々な取り組みがなされた。しかし、それだけでは意味がない。飛行士の安全を第一に考え、小さな事例を見逃さずに事故を未然に防がなければならない。
 
 
 
これからの宇宙開発
 
 2008年から日本のきぼう実験室の取り付けが始まり、日本も国際宇宙ステーション(ISS)に本格的に参加することとなった。ISSは、日本を含めアメリカやロシア、カナダや欧州の国々など15カ国が参加する国際的プロジェクトだ。この宇宙ステーションの補給船として、日本のH-IIBロケットが導入されることが決定しており、これからの日本の宇宙開発への参入もますます期待できそうだ。また、2004年に民間企業によるロケット、スペースシップワンが弾道飛行に成功するなど、宇宙旅行ができる時代も徐々にではあるが開かれつつある。これらの宇宙開発の動向にも注目していきたいところだ。
月へのプロジェクト
 
 アポロ11号が実際に月に行ったということを科学的根拠から説明することも容易なことなのだが、この偉業を成し遂げるまでにどれだけの失敗と犠牲があったのかを知れば、人類が月に行ったという事実を感覚的に理解していただけるに違いない。
 マーキュリー計画は世界初の有人飛行を目指した計画だった。無人飛行20回、有人飛行6回、有人飛行の宇宙船にはすべて「7」という数字がふりあてられている。そのうち、アラン・シェパードののる「フリーダム7」が有人弾道飛行、ジョン・グレンの乗る「フレンドシップ7」が有人周回飛行に成功している。この計画で飛行士と宇宙船を無事に地球に戻すシステムを確立した。
 ジェミニ計画は、主として月へと飛行するために重要なランデブーとドッキングの実験のための計画だった。ランデブーとは接近飛行、ドッキングとは連結のことであり、宇宙船の軌道そのものを変えられる当時としては画期的なシステムだった。このジェミニ計画の最中に宇宙飛行士が宇宙空間に実際に出る船外活動も行われた。
 アポロ計画は実際の月面着陸を目的としていた。アポロ一号の火災という悲惨な事故をうけて飛行士の安全を守るためのシステムが強化され、8号では初めて月面の裏を見ることに成功し、アポロ11号でとうとう人類は月面に立つことに成功した。その後、ミッション中に事故の発生したアポロ13号を除き、アポロ17号までのべ12人が月面に足跡を残すこととなった。
 
科学者たちと小説
 
 宇宙開発には欠かせない6人の人物がいる。ソ連のコンスタンティン・ツィオルコフスキー(1857~1935)は、人間がロケットで宇宙に行けることを理論的に証明し、宇宙ステーションや軌道エレベーターなどを着想、「宇宙開発の父」として知られている。アメリカのロバート・ゴダード(1982~1945)はそれまでの固体燃料ロケットから、打ち上げ後も制御可能な液体ロケットの開発に取り組んだ。彼の開発や理論は先進的だったため、当時ではその業績はなかなか受け入れられなかったが、後に見直され現在では「近代ロケットの父」と呼ばれている。ドイツで活躍したヘルマン・オーベルト(1894~1989)は宇宙飛行の原理などについての著書を記し、フォン・ブラウンにも影響を与えている。また、宇宙旅行協会の2代目会長となった、ロケット工学の先駆者といえる人物だ。
 第二次世界大戦頃から、2人の人物が頭角を表わしてくる。ソ連のセルゲイ・コロリョフ(1907~1966)、彼は死ぬまで存在は公にされなかったほどの重要人物でスプートニクを打ち上げたR-7ロケットやガガーリンの乗ったボストークA-1ロケットなど、重要なロケットはすべて彼が開発したといっても過言ではない。その彼の好敵手となったのが、フォン・ブラウンだ。第二次大戦中世界初の液体燃料ロケットV2を開発した。ドイツ敗戦後は、アメリカに亡命しその才能を発揮、彼の開発したロケットにより、数多くの衛星や宇宙船が打ち上げられた。そして、コロリョフの死後、フォン・ブラウンの開発したサターンV型で、アポロ11号が打ち上げられることとなる。
 そして、これらの科学者を魅了したのが1865年に発行されたジューヌ・ベルヌ(1828~1905)のSF「月世界旅行」だった。大砲の弾で月まで行って帰ってくるという話なのだが、ツィオルコフスキーやゴダードなどが愛読したことが知られており、多くの人々がこの作品に影響されたことは間違いないだろう。
こうして、空想の産物だった宇宙旅行は現実のものとなっていく。
 
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